コミュニケーションの場

誰かに影響されたり、誰かに影響与えてみたり、同じ話題を共有したり、互いの評価軸の違いを面白がったり。 サイトを始めてから読書の仕方や本の選択肢が変わってしまったことへの複雑な思いとか、 そういうのがいろいろあるのだろうけど。 本を楽しんで読むという根幹のところさえしっかりしていれば、枝葉末節は自由に好きなように伸ばしていいんじゃなかろうかと思います。 嫌いだったら西尾維新なんて読む必要はないし、無理に古典を読もうとしなくてもコンプレックスを感じる必要なんかない。 「薬屋のどこが面白いのやら」とか「リベザルなんてありえない」なんて言われようが、 わたしはリベザルの成長を微笑ましく思い見守りながら薬屋に漂う柔らかな空気に魅了されているわけで、 ミステリ系方面ではまったくちっとも好評価されていない高里椎奈を「おまいらには乙女心というのがないのか!」と (そこ、わたしと直接の面識がある人、笑わない) それでもわたしは高里作品が好きなんじゃーと心の中で叫びながら、どこかにわたしに共感してくれるミステリ者がいるに違いないとサイトを続けているのです。 だから、『銀の檻を溶かして』で高里見切った人は、2作目の『黄色い目をした猫の幸せ』までは読んでください、 そこまで読んでもリベザルが好きになれないのなら諦めますから。
インターネットというのは情報ツールであり表現の場でありコミュニケーションの場でもあるわけで、 どれを重視してもいいんじゃないかなあと、「ネット歴ももう7年か…」のわたしは思うわけでごぜいます。 あと、論旨がおもいきりそれてるように思うのは気のせいですにょ。