クロスレビューリレー:読書

クロスレビューリレー:読書 http://d.hatena.ne.jp/yasano/20040120


■『コズミック (流&水)』 清涼院流水 (講談社文庫)

(2004.01.30 執筆)

ちなみにお題としては「世紀末探偵神話」の副題がつくノベルス版が正規のものであるようだが、
わたしは文庫版を読んだのでそちらのレビューで勘弁していただきたい。改稿や変更点については知らないので触れない。
読んだのは2003年1月。年明けの記念すべき読み初めが『コズミック』であった。
正月気分が抜けきれない時期に読んだのは幸いであったのかもしれない。

ちなみに後半部分で思いきり真相のネタバレをしているので未読の方は注意されたし。


リアルタイムで清涼院流水に出会わず、しかもミステリ系サイトを見て回っているようなネット・ミステリ者は
なかなか流水大説に手を出すことが出来ない。
本は厚いし、評判は賛否両論…というか、ほめているのは読書経験の少なさそうな若い子たちや
ミステリよりも他のものの方が好きそうな人たちばかりで、良識派なミステリサイトやほとんどの人は流水大説にたいして否定的なのである。
曰く世紀の問題作。壁本。大地雷。ひどすぎる。殴って人が殺せるetc。
2002年12月に発刊された『秘密室ボン』に至っては怒りのあまりに焚書の刑に処すさまをサイトで公開する人まであらわれる始末である。
これでは真っ当なミステリ好きはなかなか手を出すことができない。
かくいうわたしも清涼院流水に興味はあったものの噂に怯え読むのをずっと躊躇していた。


清涼院は2002年に角川スニーカー文庫から『みすてりあるキャラねっと』という本を出した。
薄い本だったこともあり、絵師ささきむつみの表紙に騙されたつもりで読んでみることにした。
正直言って面白くなかった。設定は悪くない。寧ろ興味をそそられる類の設定である。しかし面白くない。
「ふーん、こんなもんか」というのが当時の感想である。
そして某サイトの焚書ネタが話題になった『秘密室ボン』である。わたしが読んだことのない類の小説であることは認識した。
そういう意味では新鮮だったが、面白かったかと問われると否である。
わたしの流水体験はそういったものから始まっている。普通ならばもう2度と手にとることはなかっただろう。
だが、2ちゃんねるのとあるスレッドが、再びわたしに流水大説を手にとらせることになる。


2ちゃんねるミステリ板にメフィスト学園スレッドというのがある。(今も存在はしている)
詳細は「私立メフィスト学園公式HP」を見ていただきたい。
そこで行われていた文化祭に「密室卿」が登場したのである。これが面白かった。
実はわたし自身も当時、執筆陣の末席を汚していたこともあって、メフィスト学園に大ハマリしていたのである。
そして、密室卿の元ネタが読みたくなってしまったのだ。

そんな経緯で読み始めたためか、流の巻の密室殺人オンパレードがやたらに面白かったのを覚えている。
再読せよと言われたら断固拒否したいし、きちんと評価するのなら流の巻はあの半分でじゅうぶんだろうと思うのだが、
あの不可能状況のオンパレードが読み手の頭に??????という数多の疑問符と結末への不安感をうけつけるのだということを考えると、
清涼院流水が狙った”未曾有の読書体験”は成功していると言わざるをえない。


そして、水の巻にはいる。JDCという設定に心がときめくわたし。探偵の結社というシステム、たくさんの探偵たち。わくわくしてくるじゃあないか。
後に『カーニバル一輪の花』(文庫版)で清涼院自身があかしているが、
そのアイディアの源泉は『銀河英雄伝説』と『13人目の名探偵』なのだそうな。
わたしと清涼院流水は同じ年齢である。わたしも子どもの頃にゲームブックが好きで『13人目の名探偵』を買って楽しんだ記憶がある。
若い頃に『銀河英雄伝説』を夢中になって読んだ。ビッテンフェルトとアイゼナッハと鉄壁ミュラーが好きだ。
JDCという設定に素直に「これ面白いよ」と共感できてしまうのは、
そういった、いわば同世代者の共通するフィールドが清涼院流水とわたしの間には存在しているためなのかもしれない。
うるさ型のミステリ者がなんと言おうが、JDCという設定は断然有りだし面白いのだ。

だが、流水大説を全部受け入れられるかといったらそうでもない。
設定の部分は非常に面白いのだが、清涼院はキャラ小説の書き手としては下手だ。
一昔前ならともかく、今のライトノベルにおいては清涼院流水が華々しくデビューすることはないだろうと思う。
『コズミック』ならば電撃大賞の最終候補作で審査員特別賞をもらう程度に落ちつくのではないか。
おそらくは膨大な知識からきているのであろう記号的なキャラクタ設定の才能にかけては素晴らしいものがあるが、
そのキャラクタを縦横無尽に動かし作品をエンターテインメントにしたてたり軽妙な会話で読者を楽しませるという手腕にはかけているのだ。
龍宮城之介、総代、九十九十九などなど、おいしいキャラクタが大挙出てくるわりには『コズミック』水の巻はあまり面白くない。そして無駄に長い。
作品をもう少し圧縮できたなら『コズミック』の評判はもう少し高かったのじゃなかろうか。


前半の密室殺人を読みながらわたしが考えたのは、
衆人監視の密室状況の事件(平安神宮での事件など)は目撃者になった人物たちが誰かの催眠によって暗示をかけられた、
そして閉空間の場合は何らかの物理トリックかもしくは証言者の偽証か事件そのものが狂言、というもの。
ネットでの前評判から、超常能力とか神の手による犯罪なんてオチだったらどうしようとずっと心配しながら読んでいた。
結果的には思いもよらない驚愕の真相が待ちうけていたのだが…。
解決編を読んだ瞬間、放心した。あまりの衝撃に本を持ったまま固まってしまったのである。
各事件の1つの可能性として、特にピラミッド水野と鮎川鶴美の事件においてその可能性も考えた。
だが、しかし、まさか全部がそうだなんて…、だって流の巻の記述は…、そういえば、あれは濁暑院の原稿を半斗ちゃんが名前をいれかえて再構成した作中作だって書いてたじゃん、
流の巻の部分はあくまで作中の創作物なんだから事件の真相と食い違っていたとしても、それは地の文で嘘をついていたことにはならないしアンフェアでもない。
た、確かに、これは間違いなく驚天動地の大トリックだ。その可能性には全然気づかなかった。完全にしてやられた。うぎゃああああああああ。


真相解明後の九十九十九と真の密室卿との対決など蛇足であると思うし、わたしは惰性で読んでいた。
先にあげたキャラ小説としての下手さや作品の厚さなど不満点も多い。
その真相に怒り出してしまう読み手もいるだろう。だが、真相を知って愕然とするあの感覚はまさにミステリ読みの醍醐味ではないかとわたしは思っている。
だから『コズミック』は例え清涼院自身が否定しようとも間違いなく本格ミステリ作品なのである。